共生委員会だより vol.55

 さる5月23日、共生スタディグループを開催し、次の内容について話し合いました。

歴史伝承プロジェクト

 空港会社は、完全民営化の流れの中で歴史伝承プロジェクトを今後どうするかについて、国・千葉県と相談し、「NAA素案」を示しました。
 内容は、1.歴史伝承プロジェクトを継続する、2.空港会社の事業として継続する、3.常設展示施設を整備する、の3点です。
 共生スタディグループでは、1.プロジェクトの継続については評価する、2.公平性の担保、資料の所有権の問題など懸案事項は山積み、引き続き歴史伝承委員会の意見を聞きながら対応を考える、3.歴史伝承委員会は、年末までに資料整理を終了させ、引継げるようにする、などを話し合いました。

新しい共生スキーム

 空港会社の完全民営化が近づいているものの、空港関係法案の問題など、状況はきわめて流動的であるため、新しい共生スキームについて、国、千葉県、空港会社によるプロジェクトチームで何らかの形が出るのは先になるのではと思われます。
 しかし、共生スタディグループは、たとえ新共生スキームがどういう形になろうとも、地域、住民が当事者となれるようなシステムがなければならないとし、今後の状況を見てプロジェクトチームに伝えることとしました。

 長年にわたって馬具をつくり続けている富里市大和の池上さんをお訪ねしました。
 池上さんは、馬具づくりをしていたお父さんの仕事を子供のころから見て育ちました。「注文が出来上がると、お使いで僕が届けるんです。帰ってくると駄賃をくれましてね。農繁期になると、学校が休みになるでしょ、みんな田植えなどの家の手伝いをさせられますが、ぼくの場合は、馬具をつくる手伝いをさせられて、見よう見まねで覚えたもんです。
 でも、子どもの頃はこの仕事が好きじゃなくて、学校を卒業したあと2年間ほど東京に出てサラリーマンをしました。親父が歳を取ってきたんで、やっぱり継ぐしかないと帰ってきましたが、今はそれでよかったと思っています。
 親父は、戦前、東京に出て馬車をつくる名人に弟子入りして洋式馬具の技術を習得し、宮内庁御用達の馬具や鉄道馬車の道具などをつくっていました。その後、名人の娘と結婚し、京橋で馬具店を開店しました。それからですね、馬具を中心に仕事をするようになったのは。
 この富里は、親父のふるさとだったので、戦後すぐに帰ってきました。ここには御料牧場はあるし、競走馬を育てる牧場もそこかしこにありましたから、仕事には事欠かなかったようです。以来、この大和で馬具店を続けてきました。
 親父と一緒に仕事をしたのは、後を継ぐよって言ってからは10年ちょっとですかね。僕もなんだかんだで43年も馬具をつくり続けてきました。
 作業は1人でやるので、時間は自由に使えます。最近は、朝早く仕事をして、昼間はゆっくりと犬の世話をし、また仕事に向うという感じですね。革は使いこむほどに体になじむので、できるだけ修理して使ってほしいと思っています」。毎日、全国から馬具の修理や注文がくるようで、馬の置物のあるお宅で、その日も、こつこつと仕事に打ち込んでいらっしゃいました。



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