共生委員会だより vol.55

 これは、国・千葉県・空港会社、そして共生委員会の四者が、共生委員会活動等をどうするか、続けるとすればどのような形にするか、といった事柄を協議し作成したものです。
 
はじめに
 地域と空港の共生は、成田空港問題シンポジウム・円卓会議の流れを受けた共生委員会が1994年(平成6年)に発足したことで、大きな一歩を踏み出した。その後、1997年(平成9年)に設立された共生財団が加わり、成田方式というべき共生スキームによって、多くの懸案が解決されてきた。
 しかしながら、平行滑走路の供用、空港の民営化など成田空港問題をとりまく状況は大きく変化している。このため、時代の変化の要請に応えるべく、長期的かつ包括的な見地から、地域と空港による新しい共生スキームの構築に向けて取り組むこととする。

1.これまでの共生スキーム
 共生委員会の活動によって、環境対策・共生策は着実に進展が図られ、平行滑走路の北伸2500m化事業も地元との話し合いを重ねた上で進めるなど、円卓会議合意事項の懸案の多くは解決に近づき、点検業務の成果は集大成しつつある。共生委員会での議論の過程で生まれた歴史伝承プロジェクトも、成田空港問題の対立解消への経緯や共生の理念を後世に伝えるべく、その成果を残しつつある。
 加えて、共生財団は、設立以来、成田空港周辺地域において、従来の法制の枠を超えたきめ細かな騒音対策など生活環境の改善に資する事業を実施し、地域の共生の実現に向けて重要な役割を果たしてきた。

2.成田空港問題をとりまく状況の変化
 成田空港では、平行滑走路の北伸による2500m化、ターミナルビルの増改築、アクセスの拡充など整備が進み、空港会社の完全民営化への準備も加速された。また、国際航空ネットワークの結節点としての地位も向上しつつある。
 空港周辺地域でも、注目すべき変化が見られるようになった。芝山町・成田空港共栄推進委員会に次いで、空港周辺9市町で構成する成田国際空港都市づくり推進会議が発足した。さらに民間団体などから成田空港の容量拡大、機能向上を求める動きが強まっている。

3.新しい共生スキーム検討の視点
 共生委員会の第7期は、「新しい共生スキームができるまでの過渡期」と位置づけられ、「何らかのシステムチェンジを模索せざるをえない」とされていたが、今まさに、その時期に来た。
 新しい共生スキームの検討に当たっては、「地域と空港との共生という理念は、成田空港がこの地にある限り続く永遠の課題」(共生大綱)を旗印としてきたことも踏まえ、地域と空港の共生のために有効に機能する方策を考えなければならない。
 その意味で、共生委員会はもとより、共生財団のような関係機関、また歴史伝承プロジェクトなどの関連事業も含め、幅広く対象にすることが肝要である。 

4.新しい共生スキーム検討の手法
 これまでの共生スキームを構築した国土交通省、千葉県及び空港会社で構成するプロジェクトチームを立ち上げ、必要に応じて、学識経験者や共生委員会、共生財団、歴史伝承委員会等の関係者の意見も聞きながら、完全民営化後の空港と地域とのあり方を含め、新しい共生スキームの具体的な検討を進める必要がある。
 従来の枠組みに囚われることなく、今後検討される新しい共生スキームの下で、地域と空港がいわゆる双方向対話型の形で主体的に取り組んでいけるようにすることが重要である。

おわりに
 新しい共生スキームの検討を急ぎ、構築することによって、成田の地に新たな光がもたらされることを切に望む。


 
 伊能歌舞伎は、江戸時代から大栄地区伊能に伝わる地芝居。昭和40年に上演されてから途絶えていましたが、平成11年、34年ぶりに復興しました。現在は成田市指定無形民俗文化財となっています。
 復興以来、保存し伝える活動をされているみなさんにお会いしました。保存会長の根藤正昭さんは、20歳の頃から歌舞伎を舞ってきました。復興には平成8年から3年もかかったそうですが、越川君彦さんは、当時、大栄町の教育長として復興に関わり、現在は後援会長として、資金集めや練習、公演の準備に走り回っておられます。高柳秋男さんは、町の生涯学習課長をされていた頃、この復興に奔走されました。横内健生さんは、現在、事務局として活動の骨格を支えていらっしゃいます。
 伊能歌舞伎は、毎年、4月の17日に近い日曜日、今年は20日に大須賀大神の祭礼の場で演じ、秋には大栄公民館(コミュニティプラザホール)で11月の第3日曜日に公演します。また今年は、空港30周年記念イベントでも演じました。
 根藤さんによると「会員は40人ほど。むかし歌舞伎を舞ったことがある人、退職した人などさまざまです。練習は月4回、秋の公演に向けては、7月から練習を始める予定です。師匠さんに群馬から来ていただくという事情もあって、毎月4日間ぶっ通しでね。子供歌舞伎も演じるので、昼は子供の練習、夜は大人の練習です」。
 演目はどのようにして決められますか?「みんなで雑談しながら決めますよ。今年は、4月に『奥州安達ヶ原三段目〜袖萩祭文〜 』、5月20日の空港のイベントでは『弁天娘女男白浪〜稲瀬川の場〜(白浪五人男)』を演じました。秋は子供たちが『絵本太功記十段目〜尼ヶ崎閑居の場〜』、大人が『盛綱陣屋(近江源氏先陣館首実検の場)』を演じます。われわれと違って子供たちは覚えが早くてね」とのこと。
 伊能の4集落のみなさんによる保存会と後援会、ふたつの会が中心となり、役者、三味線、義太夫、そして裏方のさまざまな人の輪がつくり上げる伊能歌舞伎。大木に囲まれるようにしてたたずむ大須賀神社の境内に立ち、復興から現在まで、果てしない夢を追いかける方々の努力の足跡をちょっぴり知ることができました。


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