共生委員会だより vol.50
 共生委員会では、昨年12月12日〜13日、騒音対策、環境対策に力を入れている宮崎空港への視察にでかけました。
 宮崎空港は1974年(昭和49年)に航空機騒音等による障害の著しい公共飛行場として指定され、その後、民家防音工事の助成、住宅移転補償、土地の買い入れ、教育施設等の防音工事への助成など、周辺対策が行われてきました。
 滑走路は東側が海に突き出して陸地を東西に走るようにつくられており、周辺には住宅地が広がっています。
 空港事務所で、空港や国・県・市のさまざまな対策への取り組みについて説明を受けた後、移転跡地につくられた公園や緩衝緑地帯、その周りに広がる民家防音対策区域などを視察しました。
 また、空港に併設されている航空大学校も視察しました。
宮崎空港事務所で 空港西側にある跡地利用による緑地公園
航空大学校格納庫前 航空大学校実習室
 「白桝粉屋おどり」は芝山町大里白桝地区に古くから伝わる民族芸能。その「白桝粉屋おどり保存会」の会長をされている木内昭博さんに日頃の活動について伺いました。「練習は月1 回、夜、公民館で行っています。会員は24〜5人。女性が多いので、女性優先で練習日を決めています。最近はインターネットで探して、遠くからこの練習を見に来る人がいまして、我々の励みになっています」とのこと。
 白桝粉屋おどりは、踊り手、うた、おはやしの太鼓、金、四つ竹、笛で構成されています。木内さんは現在、うたを担当されていますが、その前の10年間は、笛を吹いておられたそうです。
 「笛は、地元の竹を使って自前でつくります。上総笛といって、ふつうの横笛より短い。間隔がせまいので高い音が出る。音符がないので耳で覚えて伝えるんですが、これがなかなか難しくてね。
 謂れは、江戸時代に、今の多古町、日本寺にお坊さんの学校があって、若い僧侶が全国から学問を学ぶためにやってきた。白桝は、その学校への道沿い、寺からちょうど2里目にあたり、粉屋という茶屋がありましてね。そこにおさよさんという美しい娘さんがいましたが、若くして亡くなった。行き交う僧侶がこのおさよさんを慕ったことがうたやおどりとなって天保年間の江戸で流行り、『おしゃらく』『万作』『おいとこ節』などとして、各地に伝わり、うたい継がれてきたようです」。
 白桝に伝わる「正調おいとこ節」は22番まであり、〈・・・先祖の代から十代伝わる 粉屋の仁エ門エンヤーホイ・・のや内には 一人娘が・・・年は十六 おさよと言うてな きりょうの良いことエンヤーホイ・・・あの娘と添うなら三度に一度は人目を忍んでエンヤーホイ・・〉と、物語になっています。
 このおどりの愛好家や研究者の間では調査や交流も盛んで、白桝粉屋おどり保存会では、柏、流山、神奈川県、宮城県、岩手県などと全国ネットワークができています。
※ 白桝粉屋おどりは、千葉県の無形文化財。現在、芝山町のはにわ祭、多古町のあじさい祭などで踊られています。
詳しくは http://www.town.shibayama.chiba.jp/shiramasu/shiramasu.html


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