共生委員会では、昨年8月27日、大栄町のふたつの協議会のみなさんと交流会をおこないました。
 参加したのは、新田地区騒音等対策協議会、十余三2区空港問題対策協議会、大栄町、国土交通省、千葉県、空港会社のみなさんです。
 まず「成田空港の現状と課題」と題して、共生委員会、国、空港会社の3人の方から講演がありました。
 共生委員会の山本代表委員は、「成田空港は内陸空港という重い事実があり、共生は永遠の課題。問題解決には双方向対話型で、一歩一歩積み重ねていくことが基本的な解決の姿」と、話しました。
 国土交通省航空局の成田国際空港課長は「成田国際空港株式会社は、現在、国が全額株をもっている特殊会社。会社法には、環境・共生策について、きちんと明記した。私どもも空港会社を応援して、地域のみなさまと地域振興を図りながら発展させたい」と、述べました。
 つぎに空港会社の地域共生部長は、共生策について、「民営化されると、おろそかになるのではという声があるが、会社法で事業として定め、経営の基本方針にも盛り込んだ。私たちは、騒音下のみなさんの我慢のもとに空港の現実があることを認識している。騒音対策・共生策はこれまで同様に適切かつ確実に実施していかなければならないと考えている」と、述べました。

意見交換・さまざまな視点から。

 暫定平行滑走路供用後、大栄町は、あらたな騒音に悩まされています。
 住民からは、「着陸した航空機のリバース音は、供用前には考えられなかった騒音で、朝夕支障をきたしている」「ゴーアラウンド(着陸復行)による低空飛行で新田地区や十余三地区の上空を通過するとき、通常では考えられない騒音や落下物の危険性にさらされる。こう頻繁では、納得できない」「飛行回数が20万回になってもW値は同じになるのではと不安である。施策を見直してほしい」「離陸時、隣接区域でもガタツキが感じられる」「防音堤の木が大きくなるまで、騒音を放っておくのか」など、13項目にわたって意見が出されました。空港会社は、これらについて後日回答すると約束しました。
 また「暫定平行滑走路の下にトンネルがある。先日、歩いてみたら往復約10分かかった。換気が悪いし、うるさい。歩きや自転車の人のことを考えていない」との声がありました。これについて空港会社は、「私たちも歩いてみて、何ができるか考えたい」と、答えました。

 さる9月30日、共生委員会は、多古町航空機騒音等対策協議会のみなさんと交流会をおこないました。
 参加したのは、多古町一鍬田、間倉、喜多、林、水戸、船越、牛尾地区のみなさんと多古町、国土交通省、千葉県、空港会社です。
 大栄町での交流会同様に「成田空港の現状と課題」と題して講演がおこなわれたのち、意見交換をしました。
 
意見交換・各地区の声にこたえて。

住民:集落全戸を移転対象に、また防音工事は全額補償を。(一鍬田・林地区)
空港会社:騒音対策は音のうるささで区域指定するため、区域以外は防音工事や移転補償ができない。防音工事の全額補償については、今の制度では全額ということになっていない。申し訳ないと思う。
住民:航空機の発着回数が増えているので、それにともなう環境汚染調査、住民の健康調査を。(一鍬田・林地区)
空港会社:環境に対する負荷を極力抑える努力をしている。また騒音・大気・水質などを常時観測し、数値は、空港情報センターなどで公表している。健康調査については、一度共生財団でおこなった。2500m滑走路が完成したときに、またご相談したい。
住民:共生は被害者意識からは生まれない。株式会社になったのを機に、より多くの騒音被害地域の住民が受け入れられる雇用対策を。(間倉・船越地区)
空港会社:現在、空港関連企業に多古町から663人が勤務している。今後もぜひ地域から雇用したいと考えている。
住民:隣接区域の防音工事で、同じ地区の1戸が対象からはずされた。同じ地区なので防音工事をお願いしたい。(喜多地区)
空港会社:喜多地区の指定区域拡大については、財団と町に相談していただきたい。
住民:1985年(昭和60年)以降に新築した家屋にも防音工事を。(牛尾地区)
空港会社:準谷間地区のことだと思うが、これは、町と空港会社でおこなっている事業、まず町に相談してほしい。
住民:今後、航空機が上空を飛ぶ頻度が増える。落下物はじめ万が一の対策を。(間倉地区)
国土交通省:共生委員会の協力を得て、洋上脚下げなどをおこなっている。今後も落下物の根絶をめざし指導していく。
住民:飛行コースと飛行時間の遵守を。(水戸地区)
国土交通省:飛行コースを守ることが騒音被害を抑えることになると考えている。1998年(平成10年)3月から航跡図を公開し、翌1999年(平成11年)には飛行コース幅を設け、遵守を指導してきた。これからも努力していきたい。飛行時間についても、指導していく。



・・・国指定重要文化財 旧学習院初等科正堂の由来・・・

 旧学習院初等科正堂は、明治天皇が自ら英人建築家の設計に対して指摘修正をおこない、19世紀末に東京四谷の学習院初等科に創建された。建築後37年を経た昭和11年に、皇太子・明仁親王(現天皇)の就学が近いということで改築されることとなり、不要となる正堂は、旧遠山村の申し入れにより、宮内省から下賜されて遠山尋常高等小学校の講堂として移築された。
 終戦後、新制中学が小学校に併設されると、今度は遠山中学校の講堂となり、雨天の際には体育館としても利用された。その後、成田空港の設置により防音校舎への建替えがおこなわれるようになり、遠山中学校も昭和46年12月に新校舎が落成し、旧体育館を廃止して新体育館が建設されることになった。
 しかし由緒ある講堂は、解体せずに永久保存する方策がないか検討され、昭和47年11月、成田市は国の重要文化財としての指定を申請、翌年「旧学習院初等科正堂」として指定告示され、現在は県立房総風土記の丘へ移設、一般公開されている。
 成田市について詳しくお知りになりたい方は、市ホームページをご覧ください。
 http://www.city.narita.chiba.jp/



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