タイトル 「空港前景 木の根・天浪の戦後開拓」
歴史伝承部会が初めて開催したこの企画展示では、今は空港となっている戦後開拓地区、木の根・天浪で展開された歴史の一コマである戦後開拓を扱いました。人々が戦後新しくやって来て、土地を切り拓き、さまざまな暮らしを経て定住していく過程を、写真を中心に、地図や聞き取りによる証言などを用いて表現したパネル展示です。 以下に、その一部をご紹介します。 1.木の根・天浪は、ここ 木の根・天浪は下総御料牧場だったところを開拓して生まれました。
木の根・天浪は、北の利根川へそそぐ根木名川・取香川、南の九十九里へ流れる木戸川・高谷川が始まる台地に位置しています。
2.戦後開拓とは 敗戦を迎えた1945(昭和20)年、国内は復員者や引揚者にあふれ、十分な食べ物もなく、働き口も少ない状態でした。それを解消するために国の事業として全国的に始められたのが、荒れ地や山などを切り開いて畑に変える戦後開拓事業です。
3.開拓に来た人々 木の根・天浪には、地元からはおもに農家の二・三男が入植し、戦争で家を焼かれた人たちや、本土にいて沖縄に帰れなくなった沖縄出身の人たちも東京などからたくさん入植しました。
4.エネルギッシュな入植
5.地名の産声 小字を命名したのは、開拓者自身でした。小字には、土地の様子だけでなく、人々が開拓地に抱いていた希望や愛情もあらわれています。 たとえば「神台」は、神社、つまり神様がいる場所でした。この神社は、開拓者が自分たちの守り神を祀って建てたものです。
6.開拓のくらし 新しい土地で、開拓者たちは毎日畑仕事に追われ、食べていくだけで精一杯のくらしを続けていました。畳のある家に住み、電気も使えるといった生活ができるまでには、数年間を要したようです。 それでもしばらくすると、お花見や芝居を楽しむ余裕も生まれ、また消防団を結成するなど、人々のつながりも深まっていきました。こうして、生活は少しずつ安定へと向かっていったのです。
7.そして・・・ |